魔法を失った
魔法はつかえなくなった。
何か変わったわけでもないけれど。
山川方夫「海岸公園」より①
…じじつ、私には、後ろ暗く卑劣な自分だけに没入することこそ、私にふさわしい、私が愛し、信じられるただ一つの情熱のように思えた。私はいつも自分にくりかえした。私は卑劣だ、私は最低だ、自分のことしか考えない。いかにも、それは「卑怯者」の正義だろう。だが、結局わたしにはそれ以外に、頼りにできる人間のイメェジがなかったのだ。逆にいえば、私はそれだけを頼りにし、力にして生きつづけた。全ての「立派さ」への不信、確信への嘲笑、癒着の拒否。ひとときの興奮がさめると、私はいつもそこにかえる。私は、必死に、そういう「自分一人」への闘争をねがう後ろめたさにしがみついて、すべての切断に耐えてきたのだ。
J.R.R.トールキン「指環物語」より
放浪する者すべてが、迷う者ではない。
重松清「ワニとハブとひょうたん池」より
授業中も、休憩時間も、放課後も、あたしはずっと左胸に掌を当てて過ごした。
だいじょうぶ、心臓はちゃんと動いている。あたしは死んだりしない。自殺なんか絶対にするもんか。生きていくっていうのは、つらいんだから。そうだよ、楽しいわけないんだ。いままでの生活のほうがおかしかったんだ。赤の他人に囲まれてるんだもん、辛くないわけがないんだから。
こんなかんたんな理屈に、どうしてみんな気づかないんだろう。
山川方夫「煙突」より
そうだ。孤独とは、だれも手を下して自分を殺してはくれないということの認識ではないのか。・・・そして、ぼくはぼくの孤独だけを感じた。
エーリッヒ・フロム「自由からの逃走」より
他人や自然との原初的な一体性からぬけでるという意味で、人間が自由となればなるほど、そしてまた彼がますます「個人」となればなるほど、人間に残された道は愛や生産的な仕事の自発性のなかで外界と結ばれるか、でなければ、自由や個人的自我の統一性を破壊するような絆によって一種の安定感を求めるか、どちらかだということである。
萩原朔太郎「虚無の歌」より
ああ神よ!もう取返す術もない。私は一切を失い尽した。けれどもただ、ああなんという楽しさだらう。私はそれを信じたいのだ。私が生き、そして「有る」ことを信じたいのだ。永久に一つの「無」が自分にあることを信じたいのだ。
神よ!それを信ぜしめよ。私の空洞(うつろ)な最後の日に。