魔法はつかえなくなった。 何か変わったわけでもないけれど。
…じじつ、私には、後ろ暗く卑劣な自分だけに没入することこそ、私にふさわしい、私が愛し、信じられるただ一つの情熱のように思えた。私はいつも自分にくりかえした。私は卑劣だ、私は最低だ、自分のことしか考えない。いかにも、それは「卑怯者」の正義だろ…
放浪する者すべてが、迷う者ではない。
授業中も、休憩時間も、放課後も、あたしはずっと左胸に掌を当てて過ごした。 だいじょうぶ、心臓はちゃんと動いている。あたしは死んだりしない。自殺なんか絶対にするもんか。生きていくっていうのは、つらいんだから。そうだよ、楽しいわけないんだ。いま…
そうだ。孤独とは、だれも手を下して自分を殺してはくれないということの認識ではないのか。・・・そして、ぼくはぼくの孤独だけを感じた。
他人や自然との原初的な一体性からぬけでるという意味で、人間が自由となればなるほど、そしてまた彼がますます「個人」となればなるほど、人間に残された道は愛や生産的な仕事の自発性のなかで外界と結ばれるか、でなければ、自由や個人的自我の統一性を破…
ああ神よ!もう取返す術もない。私は一切を失い尽した。けれどもただ、ああなんという楽しさだらう。私はそれを信じたいのだ。私が生き、そして「有る」ことを信じたいのだ。永久に一つの「無」が自分にあることを信じたいのだ。 神よ!それを信ぜしめよ。私…
なぜ、おれは女を愛さなければならないのか。ーいや。このいい方はまちがっている。魚や犬や、虫だって、愛するのだ。ただ、魚や犬や虫は、詩は書かない。心中をしない。あくまでも単独な一本の線の自分だけをしか生きない。そうだ、こういうべきなのだ。な…
東京が近づいてくるのを、私は全身で感じとっていました。痛みか恐怖かのようにひりひりと疼くほどに、それをかんじました。 そのとき、私には、ふいにいっさいを整理してしまいたいような気がしてきたのでした。一人になって、東京に帰りたい。一人ならば死…
もう三月であった。その日一日じゅう、鬼に責められた彼は夜になると勇気を出して、よろめきながらも銭湯へ出向くことにしたが、今度は大人連までもがじろじろと自分を見詰めているようであった。こんな異邦人のような寂しい気持ちはいったい何処から来るの…
僕は、いま糸の切れた凧のようにふわふわと空中を漂う、位置も重みもない架空の一点に過ぎない。一つの自由意思という抽象的な存在に化しているのだ。だから、名前もない。役目もない。話しかけられもしない。決定を要求されもしない。特定の学校の生徒でも…
私はいつも自分にだけ関心をもって生きてきたのだ。自分にとって、その他に確実なものがなにもなかったので、それを自分なりの正義だと思っていた。私はいつも自分を規定し、説明し、自分の不可解さを追いかけ、自分をあざけり軽蔑してくすくすと笑いながら…
「いま考えてみれば、虎がアフリカへ行きたいように、俺もどこかへ、ここより他の場所へ行きたかったんだなあ。それというのもおれは自分を、おかしな具合でこの世界にいる流刑された、どこかちがう世界の人間だというふうに感じることがあるんだよ。しかも…
実際、近頃の自分の生き方の、みじめさ、情なさ。うじうじと内攻し、くすぶり、我と我が身を噛み、いじけ果て、それで猶、うすっぺらな犬儒主義(シニシズム)だけは残している。こんな筈ではなかったのだが、一体、どうして、又、何時頃から、こんな風にな…
いまは、大過渡期だと思います。私たちは、当分、自信の無さから、のがれる事は出来ません。誰の顔を見ても、みんな卑屈です。私たちは、この「自信の無さ」を大事にしたいと思います。卑屈の克服からでは無しに、卑屈の素直な肯定の中から前例の無い見事な…
悩みを消し去るには、宇宙のなかにただひとりで生きるしかない。
何かが私を悩ましている。その何かとは「私」のことだと思う。
俐巧ぶるのは嫌なことだ。と隊長は思った。ほんとうは俐巧だとも思わず、俐巧になりたくもないのに。うろうろと歩きまわって、計画を立てて、計画を立てたことで、なんだかエラくなったような気持ちになる。ほんとうは正しいかどうか分からないのに、正しい…
そして私は、私自身の本当の喜びは何だろうかということに就て、ふと、思いつくようになった。私の本当の喜びは、あるときは鳥となって空をとび、あるときは魚となって沼の水底をくぐり、あるときは獣となって野を走ることではないだろうか。 私の本当の喜び…
汝自身を知れ、神が判ずると夢々思うなかれ 人類のおあつらえの典型は男なり 中流の境遇という地峡に位置し 陰険にも賢く、みだらにも偉大な生き物 無神論者の尊大さを知りつくし ストア学派の自尊心を愛しすぎ 男は迷っている、行くべきか、止まるべきか み…
たえずいれかわり、互いにいりみだれては消えてゆく幻のような人間の姿の中に、われわれがもはや隣人の顔を認めることができないのは、近代的な大都会に群衆が集中して詰め込まれていることの中に明らかにその大部分の責任がある。隣人愛はおおぜいの隣人た…
僕あ、あれ以来、一人として、軽蔑以外の気持ちで、人を眺めたことがないんですよ。…そいでね、こうやってみんなを軽蔑している自分が、これでやっぱり日本人で、そして、実は、まっさきに、一番、軽蔑すべき虫ケラなんだ。そいつを俺が知ってることなんだ!…
戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。だが人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう。なぜなら人間の心は苦難に対して鋼鉄の如くでは有りえ得ない。人間は可憐であり脆弱であり、それ故愚かなも…
人は絶対の孤独というが、他の存在を自覚してのみ絶対の孤独も有り得るので、かほどまで盲目的な、無自覚な、絶対の孤独が有り得ようか。それは芋虫の孤独であり、その絶対の孤独の相のあさましさ。心の影の片鱗もない苦悶の相の見るに堪えぬ醜悪さ。
絶対的な勝利者、絶対的な優者、およそ絶対的なるものの存在が耐えがたいのだ。自分がダメであり、そのダメさが決定され、記録され、仲間の定評になってしまったのに、ダメでないものが存在し、しかもその存在がひろく認められ、その者たちが元気にあそびた…
個人の間に絶対の融合というものはない。しかも個人と個人とは、愛し合っている時でさえ、憎悪をふくんでいるではないか。
「僕はただ命令に従うだけです。それでいいじゃないですか。それ以外に僕には何もできやしないんだから。僕はもちろん機械です。それ以下の人間です。それで満足していますよ。だって僕みたいな能なしだって生きてかなきゃならないんですからね。能なしだっ…
結局人間は自分自身だけを経験するのだ。
人間は一人一人ちがった肉体とちがった神経をもって居る。我のかなしみは彼のかなしみではない。彼のよろこびは我のよろこびではない。 人は一人一人では、いつも永久に、永久に、恐ろしい孤独である。 原始以来、神は幾億万人といふ人間を造った。けれども…
女と密着し、それと作用しあうことのない生活は、ひいてはひろく人間と密着し、それと作用しあうことのない生活であった。人間どうしの全身的まじわりにあずからぬことであった。それが光雄を執念のうすい、よそよそしい、何事もいいかげんですます、情熱の…